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   <title>湯布院をメインに美術館巡り</title>
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   <subtitle>湯布院（由布院）と全国の美術館</subtitle>
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   <title>からだの正常なはたらき　4</title>
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   <published>2012-02-06T03:56:28Z</published>
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      現代という時代に、より健康になりたいとねがう人は、ふつうは見逃されている、より深い層にかくれた原因をさぐり、それに対処していく必要があります。


ここでは、そうした原因のいくつかを説明し、オステオパシーがそれにどう対処しているのかを紹介しましょう。


さて、患者を診るとき、ほとんどの医師が見逃している重大な障害があります。


・・・それは、わたしにいわせれば、健康になるか病気になるかをニ分する鍵ともなりうるものです。


その障害とはトラウマのことです。


生命力がブロックされると、呼吸がほどよく全身にめぐらず、健康状態を全体的に低下させます。


そして、そのブロックのおもな原因がトラウマです。


トラウマとはこの場合、過去に経験した重大な物理的・心理的損傷を意味しています。


多くの人にとって、最初のトラウマは出生時に関連しています。



      
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   <title>からだの正常なはたらき　3</title>
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   <published>2012-01-06T03:55:54Z</published>
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      人びとが現代西洋医学の医師に辟易するようになってきたからです。


多忙で冷淡な医師ではなく、思いやりのある、こころのあたたかな治療家に診てもらいたいと、痛切に願う人がふえています。


・・・また、こころとからだの相関性を理解し、心身ニ元論はまちがっていると考える人もふえているのです。


真の進歩の徴候は、わたしにいわせれば、オステオパシーの手技の復活によくあらわれています。


カンザス州トピカにあるメニンガー・クリニックの随意コントロール研究所名誉所長であるエルマー・グリーン博士は、いま西洋医学の医師が診ている外来患者のおよそ7割は代替療法で対処できるものだといっています。


いうまでもなく手技はその代替療法のひとつであり、現在のオステオパシー大学の学生の多くは、ふたたび手技を熱心に学ぶようになっています。


手技は一世代とばして、つぎの世代に受けつがれているのです。


・・・このように、進歩とは人びとが考えているほど直線的で、単純なものではありません。


なぜなら、ある人にとって前進と見えるものは別の人にとっては後退と見えることがあるからです。


      
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   <title>からだの正常なはたらき　2</title>
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   <published>2011-12-06T03:54:53Z</published>
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      科学のそうした方法にあまりに熱心になりすぎて、たとえば、からだには膝の関節以外のところもあるということを忘れてしまった専門バカたちを、わたしはたくさん知っています。


そうした細分化のプロセスがすすみ、マスコミがこの研究、あの実験の成果を報道しつづけているうちに、一般の人びともまた個々の部分にかんする新発見に夢中になり、自己の内なる全体性について考えることを忘れてしまいます。


・・・わたしたちは、医師も患者も、その全体性にもどらなければなりません。


もちろん部分も大切ですが、全体像を把握せずに個々の要素を理解しても、それがなんになるというのでしょうか？


この世界は統計学者が描くつり鐘型の曲線で語りつくせるようなものではありません。


その手の進歩という幻想はオステオパシーにも悪影響をおよぼしています。


過去2、30年、オステオパシー大学は手技を軽視し、学生の手の感覚をやしなうために毛布にくるんだ骨をさわるといった試験はやらなくなっていました。


そのかわりに、アロパシー医学と同じく、薬物療法を重視するようになっていたのです。


その結果、アロパシー医とほとんど変わらないオステオパシー医が幅をきかせるようになっていました。


しかし、事態はふたたび変わりはじめています。



      
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   <title>からだの正常なはたらき</title>
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   <published>2011-11-06T03:50:00Z</published>
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   <summary>発熱はからだが必要としている正常なはたらきです。 抗生物質はできるかぎり避けるに...</summary>
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      発熱はからだが必要としている正常なはたらきです。


抗生物質はできるかぎり避けるにこしたことはありません。


熱が39・5度以下なら、どんなくすりものまないほうがいいのです。


・・・もちろん、そうしたくすりがいのちを救ってくれる場合もあります。


わたし自身も、無数のアメリカ人と同じく、くすりがなければ現在まで生きることはできなかったかもしれません。


しかし、表面だけではなく芯から癒されたいのなら、自分の全存在を大切に育まなければなりません。


そのための選択肢は、鍼療法、生薬療法、オステオパシーの手技といった、生命力にはたらきかける代替療法のなかにしきません。


こんにち、わたしたちは科学的であることを最高の価値とする世界に生きています。


なにごとも科学が立証してはじめて認知されます。


なにかを立証するために、科学はまず、ものごとを部分に分解し、しかるのちに、その部分ひとつひとつを吟味するというプロセスを永久にたどらなければなりません。


      
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   <title>影を落とす社会的影響　2</title>
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   <published>2011-10-31T01:38:05Z</published>
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      第三に、楽観主義者はテレビを文化やレクリエーションの水準の向上に寄与するものとみていますが、これには反対も強いのです。


第四はテレビが若年者に対し、よい役割基準となっているかどうか。


・・・この点ではとりわけ、テレビの暴力ドラマの影響が問われます。


とくに最近アメリカで重要な社会問題となっているのは、第四の問題です。


若年者ほど1日のうちテレビ視聴の時間が長いだけに、テレビの影響力が強いからです。


最近の調査では小学校に入るまえの幼児は、1日の目ざめている時間の3分の1を、テレビを見て過ごしていることが示されています。


彼らは物心ついたときから殺人ドラマの影響にさらされるのです。


いろいろな実証研究からも、テレビ暴力の否定的影響が強いことが明らかです。



      
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   <title>影を落とす社会的影響</title>
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   <published>2011-09-11T01:37:18Z</published>
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      テレビではラジオと違って、もはや討論に入る前に勝負がついていたのです。


ところで、テレビの社会的功罪については、アメリカでも多く論じられている点です。


学者の間でも賛否両論ありますが、一般的にはカリフォルニア州立大学の社会学者トマス・M・カンドーのような批判的立場に集約されそうです。


彼は、


「私の第一の論点は、アメリカのテレビの自由化を嘆くことに必ずしもあるのではなく、それが多くの場合反家族的となっていること。


したがって、テレビはおそらく1950年代ほどには、家族的調和を通ずる社会的安定の利益には貢献していないことを明らかにすることである」


・・・として、次のような観点をあげています。


第一は、テレビの家族制度への影響です。


家族の結合に役立っているかどうかです。


第二に、テレビが民主主義教育のツールとして役立つものであるかどうか。


・・・これには危険なプロパガンダのツールとして使われるおそれから、子供の学力の低下にまで批判があります。


      
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   <title>ケネディとマスメディア　2</title>
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   <published>2011-08-31T01:36:42Z</published>
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      とくに注目されたのは、対立候補のハンフリーの地盤のウィスコンシン州と、圧倒的にプロテスタントの多いウェストバージニア州でしたが、ここでケネディは決定的な勝利をつかみました。


彼はテレビでの機会をできるだけとらえたのです。


テレビがなければ、どんなに全国を歩きまわっても、直接大統領候補を目にすることができるのは、せいぜい30万人か40万人程度です。


しかし、テレビだと一夜で何百万、何千万の人びとが候補者を見ることができます。


しかも、どうみても旧式政治家然としたハンフリーに比べて、どんなにかケネディが颯爽としていて人の心をつかんだことでしょうか。


こんなわけでしたから、党大会ではやすやすとハンフリーを打ち負かし、その勢いに乗って彼はさらに、テレビで行われたニクソンとの歴史的な討論会にのぞむことができました。


・・・しかし、ここでもニクソンが疲れはてた様子をかくすことができず、弱々しく見ばえがしなかったのに対し、カリフォルニアから戻ってきたばかりのケネディは、顔は輝くばかりに日焼けしていて、いかにもはつらつとしていました。


      
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   <title>ケネディとマスメディア</title>
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   <published>2011-07-31T01:34:27Z</published>
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      ジョン・F・ケネディは、1946年マサチューセッツ州から下院議員選挙に当選して、その第一歩を踏み出しました。


その後2度再選されたのち、1952年に現職の上院議員で名門のヘンリー・C・ロッジ・ジュニア(共和党)に挑戦し、35歳のケネディはみごとに当選したのです。


さらに1956年シカゴの民主党大会で副大統領候補の選挙に打って出て、結果は敗れはしたものの、それまで地方の一若手上院議員にすぎなかったケネディは、全国的に知られるようになりました。


・・・それというのも、テレビが若くカッコのいい政治家を全国の視聴者の前に映し出したからでした。


さらに大統領への道を進むためには、その関門として予備選挙があり、1960年夏のロサンゼルスにおける民主党大会がありました。


ケネディは党のボスや既成の党組織に頼らず、早くから地域の婦人や青年を組織して、全国的にケネディ・マシーンを結成し、選挙運動を展開します。


まず予備選挙に勝たねばなりませんでした。


      
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   <title>嫁不足の真の原因　2</title>
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   <published>2011-06-27T06:33:06Z</published>
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      かりに数が少なくとも北海道から沖縄まで、農業青年と結婚した都会育ちの女性たちはどうして農業青年を選んだのでしょうか。


この点を考えるならば・・・


40近くなっても結婚できずに意気消沈している農業青年には酷ないい方になりますが、日本人女性と結婚できないのは「不遇」なのではありません。


「不遇」とは実力は十分にある(と本人は思っている)のに不運で他人に認められないという意味です。


本当に農業で生きていこうとするなら、結婚の前に、才知を育て、女性と向き合って生きうる自己を形成する以外にないのです。


「この人(男)」と人生を共にしようと決心させるだけのものをもたずにどうして女性をひきつけられるでしょう。


見映えのする家を建て、豪勢な家具をととのえ、自家用車をもう1台用意しても・・・


そんなことぐらいで女性の心を動かせると思ったら間違いではないでしょうか？


農業に人生をかけて、困難にまけず農業に生きることに誇りと自信をもちうるまで、結婚相手はいないと考えるべきではないでしょうか。



      
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   <title>嫁不足の真の原因</title>
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   <published>2011-05-27T06:32:11Z</published>
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      青年がいざ結婚話しが出て、履歴書を書き、相手の日本人女性にわたすと、その女性は高校卒であるため、「中学卒ではね……」といって断わられるといいます。


才知を育てるうえでは人生において最も大切な時期にその努力を放棄させられた農業青年が、米の転作時代を迎え、頭を働かし、情報を集め、地域に根ざした自分の農業の自立化を図っていくことなど絶望的にむずかしいといえないでしょうか。


自分の地域に最も適した農作物はなにか、それにはどのような技術が役立ち、かつ使えるか、国や県や農協のいうことにただ従順であることでは地域農業は護れないのではないか・・・


農民と消費者はどうすれば相互理解に立って結び合うことができるのか、こうしたことを考え、見通しをつけ、実践していくには才知が必要です。


農業はいま最も知的な職業の一つなのです。


そうした才知をもつ農業青年に「嫁」は本当に不足しているでしょうか。


さらにそういう青年は「嫁をもらう」などと考えているでしょうか。



      
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   <title>自治体の自律性　2</title>
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   <published>2011-04-27T06:30:07Z</published>
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   <summary>国の行政との対比における自治行政の独自性をさぐる視点・・・ 国と自治体との比較で...</summary>
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      国の行政との対比における自治行政の独自性をさぐる視点・・・


国と自治体との比較で、顕著な相違と考えられるのは、行政運営における職員組合の影響力の大きな差です。


「嫁」不足に悩んでいる農山村を訪れてみるといくつかのことに気づきます。


その一つは、結婚相手のいない農業青年が実は高度成長期の農政の犠牲者ではないのかという点です。


あの頃は、


「農業には学問はいらない。


なまじ学問などやると理屈ばかりこねて素直に働かなくなる。


なにより農業をやらなくなる」


・・という考えが根強かったのです。


いまでも、このような考え方が支配的な地域もあります。


しかし、この考え方は間違っていました。


もちろん、学問とは単に高校や大学などの高等教育をうけることのみを意味するのではないのですが、農業に才知が不要のはずがないのです。


米を作りさえすればそっくり政府が買い上げてくれた時代、米作農家の若い後継者が「農業やるのに高校なんかいく必要はない」と周囲から中学卒まででおし止められ、本人もそう考えたケースは少なくないといいます。



      
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   <title>自治体の自律性</title>
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   <published>2011-03-27T06:29:15Z</published>
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      自治体が地域における一箇の独立した政治の基礎単位たりうるのは、なんといっても首長と議会の直接公選にあります。


しかし、反面、公選の首長がいるにもかかわらず、否、むしろ職員機構を傘下にもつ独任の首長であるがゆえに、国の各省庁は、この首長を国の政策の実施機関として使いうるならば、便利で安上が第1章自治行政の独自性りです。


国の省庁の人的規模が他の先進諸国と比較して小さいのは、国の仕事を自治体に委任して、あるいは自治体を通して実施できるからです。


自治体は多種多量の仕事を行っているという意味では「大きな地方政府」なのです。


しかし、そのことは決して「大きな権限」の主体であることと同義ではありません。


根強い行政的集権体制の持続は第二次臨調の行革でもまったくといってよいほど手がつけられなかったのです。


自治体は相変わらず、国との折衝業務のなかで、ささやかなりとも、いかにしてその意向を反映させていくか、その政治的技量が問われつづけているといってよいでしょう。



      
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   <title>「学校拒否」について　3</title>
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      父親は初めのうちは無関心でいたが、週3日、1年のうち3分の1以上も登校しないという状態になったので、なんとか手をうとうと努力しましたがどうにもならない、教師も何回となく家庭訪問をして朝ひっばり出そうとし、友だちも呼び出しに行くけれども、ますます、自分の部屋に閉じこもって、しまいには自室をベニア板ではりつけて、窓からしか人の出入ができないようにしてしまう。


昼間は静かに何かをしているが、夕方から元気になり、翌日は行くと言うが結局朝になると出かけられない。


夏休などは元気が出て、海へ行ったり、たまには友だちと出かけたりする。


このような状況はだいたい決まったコースです。


すなわち外目には何も変わったところのない良い子どもで、勉強も結構良くでき、友だちづきあいも特に変わったところのない、まさに平凡で、普通の、どちらかというときまじめな、頭のむしろ良いという子どもの像が浮かんできます。


きまじめで、普通で、一見社交的で……ということがむしろ問題なのかもしれません。


なぜかというと、この子どもは教育の熱心な子どもの養育にも心をくだく、いわゆる中流の教育のある父母の家庭で育っていく間に、自分なりの生活目標や、上級学校進学の理想などを持ってぎます。


      
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   <title>「学校拒否」について　2</title>
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      <![CDATA[第4は不安定型、神経症型で、表面なんのことはないようにみえながら自分ではひどく悩んでいて、何かのきっかけで家庭内暴力のような非行をひきおこすものです。


次にこのような型をきめることの功罪ですが、実際は子どもが育っていく間に、発達の段階によって、前記のいろいろな型が移行しているわけですから、年齢の因子を考えねば意味がないでしょう。


さらに、このような型はなぜできたのかというと、むしろそれは親子関係、子ども同士の人間関係によるものであります。<a style="color:#336633; text-decoration:none; font-weight:normal;" href="http://blog.goo-net.com/taiyoko/" target="_blank">石塚孝一</a>氏によると、これらをまとめていうと、子どもの生来の素因、性格、発達過程の問題、親子関係、人間関係というように多方面からのかかわりのなかで学校拒否というひとつの症状をあらわしているのであり、それに伴って、家庭内暴力もその発生の原因は実にさまざまな場合が想定されます。


ここで3つの例をあげてみましょう。


第1の例は中学校1年のころから特別理由なく学校を休むようになりました。


もっとも初めのうちは原因となるものがあり、登校時間になると頭痛、腹痛などが現れてきて、親も病気かもしれないと病院をあちこちしてるいうちに、どうもそれが原因ではないと感じだして、手を変え品を変えて、なだめたりすかしたりしても、どうしても朝になると部屋に閉じこもって出てこない。

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   <title>「学校拒否」について</title>
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   <summary>学校拒否については最近ではだれでも知らない者がないくらいに社会の話題になっている...</summary>
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      学校拒否については最近ではだれでも知らない者がないくらいに社会の話題になっているので、皆さんはよく知っておられることと思います。


またどうすればよいかということについてもいろいろの本を読んでおられるでしょう。


私は簡単に次に記したような区別を考えておくのが都合が良いと思います。


まず衰弱型です。


体質的にも自律神経症状などがあり、元気がなく、幼いときから何か自分でやる意欲がすくないタイプです。


第2に消極型です。


やる意欲はあるが、引っこみ思案で、他人がプッシュしないと自発的にやりません。


登校は何かのきっかけで気がすすまないということになります。


第3に積極型です。


自分なりの考え方がはっきりしているのだが、親の期待の重圧のなかで、迷い、その積極性をのばすときを待っているというわけで、学校を休むのは、それなりの意志がある。


      
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